もの思いの譜

ここには私が撮影した写真を中心に詩やエッセイを書き込んでいます。

◇ その後の私の風景

◇  その後の私の風景

◇ コメント

 ふと気が付いたら・・2022年11月の写真展以来 blogを更新していなかった。

 2023年は仕事場が変わったり住居が変わったり・・となかなかの忙しい年だったせ

いもあるが、ゆっくり写真と向き合う時間がとれなかった。

 写真展を終えてから写真を撮りたい意欲は少し衰えてきたかもしれない。

 でもそれ以前の異常に写真が撮りたい気持ちのほうがちょっと変だったかもしれな

いので、やっと正常に戻ったともいえる。

 ガラスのドアに写る影は、自宅の屋上での撮影。

 夏場の早朝の日ノ出のころ背後から水平に光が射す時間帯があり、壁に写る自分の

影を撮ってみた。

 同じく屋上から見える夜のマンション。こういうの好きだな。

 ほかは東京駅近くの丸の内商店街あたりの風景

2022年11月22日 写真展のご案内(訂正)

◆  2022年 11月 写真展のお知らせ (訂正)

前回のご案内で 時間を間違えていましたので以下訂正です。

コロナがまた増殖してきていますが万全の対策をして行いますので皆さまどうぞいら

してください。

◆  西尾憲一 写真展 

   盲目の写真世界vol.2 「記憶 というかたち」

◆日時   2022年11月22日 - 27日 12時から19時

◆場所   Jam Photo Gallery JR目黒駅より徒歩10分

      https://www.jamphotogallery.com/

※JR目黒駅から権之助坂(ごんのすけざか)を降りて目黒川の橋を越えたらすぐ右の

ビル二階です。

 私が視覚障害になったのは30代後半。

それまで目で見ていた風景・見えなくなってからの記憶・写真を撮るようになってか

らのイメージ。

それぞれのときに出会った思いや記憶というものを形にしてみたらどんなだろうか・

そんなことを思いながら撮影したものです。

みなさまどうぞいらしてください。

西尾憲一のblog  もの思いの譜

https://omou.hatenablog.com/

2022年11月22日 写真展のお知らせ その2

◆ 2022年11月 写真展のお知らせ

◆  西尾憲一 写真展 

   盲目の写真世界vol.2

   「記憶・というかたち」

◆日時   2022年11月22日 - 27日 13時から18時

◆場所   目黒 Jam Photo Gallery 東京都

      https://www.jamphotogallery.com/

 私が視覚障害になったのは30代後半。

それまで目で見ていた風景・見えなくなってからの記憶・写真を撮るようになっ

てからのイメージ。

それぞれに出会った記憶というものを形にしてみたらどんなだろうか・そんなことを

思いながら撮影したものです。

写真の撮り方には 記念写真・美しい風景・街中のスナップなどいろいろあると思い

ますが、それらは外側にあるものを内面に取り込むような感じでしょうか。

私の場合は記憶にある情景やふと浮かんだイメージを写真を通して表現するというも

ので上記とは逆のことをしているように思えます。

、このことで私が思っていた一般的な写真の概念が180度変わりました。

そして。盲目の私が見える世界に向けて何かを表現できることがとても楽しい。

そんなことを続けているうちに写真展をすることになりました。

ご興味があったらどうぞ見に来てください。   西尾憲一

◆ 2022年11月 写真展のお知らせ

◆ 2022年11月 写真展のお知らせ

◆ コメント

◆  西尾憲一 写真展 

   盲目の写真世界 「記憶・というかたち」

◆ 2022年11月22日 - 27日 13時から18時

◆ 目黒 Jam Photo Gallery | 写真 | 東京都

    https://www.jamphotogallery.com/

 私が視覚障害になったのは30代後半。

それまで目で見ていた風景・見えなくなってからのイメージ・写真を撮るようになっ

てからの情景。

それらの記憶というものを形にしてみたらどんなだろうか・そんなことを思いながら

撮影した写真を主に選んでいただきました。

写真  駅

◆ 写真    駅

◆ コメント

駅には独特な空気があるので私は好きだ。

改札を出入りする人たちは、それぞれが楽しそうだったり寂しそうだったり忙しそう

だったりしながらここを通りそしてそれぞれの居場所に戻ってゆく。

都会の駅には迷路のような通路があって、その狭い空間をゆく人たちの哀愁のあるイ

メージも好きだ。

まだふつうに視力があったころには駅でこのような思いを抱いたことはなかったが、

見えなくなったことでそこに何かを感じることが強くなったのかもしれない。

写真 街のそこらにある芸術

◆  写真  街のそこらにある芸術

◆ コメント

古びた看板、さびたパイプ、ベランダの鉢植え、雨上がりの水たまり。

私はこれらを直接みることはできないが、誰かがずっと使い続けたものや長い間放置

されたものや自然にできた汚れのある風景などはそれらが何かを語りたがっているよ

うに思えて写真に撮りたくなってしまう。

これらは何もしなくてもすでにとても芸術的だと思える。

◇写真  自分が見ているかもしれない世界(3)

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◇ 写真    自分が見ているかもしれない世界(3)

◇ コメント

 自分が頭の中で見ている世界ってどんなだろうか・・と考えるようになってから撮

る写真が変わってきた。

 駅の改札口やコンコースの風景は、私の遠い記憶の再現でありそこにはさまざまな

感情の波が混ざりこんでいる。

こういった目線でシャッターを押したとき、やっと自分の写真が撮れたという気がし

た。

(続く)