■写真 ピアニスト
■散文 視覚障害者の見え方
"視覚障害になると目の前が真っ暗になるんですか?”・・こういう質問を時々
受けるから、やはり一般的にこういうふうに思っている人が多いのだと思う。
何より私もふつうに目が見えていたころは、やはり同じことを考えていた。
しかし自分が視覚障害になったとき、そうではないことがわかった。
障害にもいろいろあるのでそれによっても違うと思うが、よく言われる まっくら
というのはありえないと思う。それは光を感じていた人が目を閉じた瞬間に感じ
る相対的な感覚としてだけ存在するのではないだろうか。
見る/見た という感覚は眼球を通して網膜に映し出された像に対して記憶・知識・
情感などなどのデータベースからあるイメージをつくりそれと照合することで 彼
は山田さんだなとか バラの赤がきれいだなといった認識によって起きるそうであ
る。私のように中途で視覚障害になった者は目からの情報がなくても脳内のデータ
ベースがおおよそのイメージを作ってしまうため、実像とは違うかもしれないがそ
れに似たものを見ている感覚がある。また先天的な視覚障害の方々も手でふれたり
街を歩いたり音を聞いたり雰囲気を感じたりする中で対象のもののイメージを描い
ている。街を白杖を頼りに一人で歩くときそれを何度も続けていると立体的な街の
風景がイメージ化される。これができると白杖なしでも歩くことができるが現実に
は車があったり自転車がおいてあったりして危険は多い。
視覚障害者は まっくらな世界を見ている人だ・・などと思われてしまうと、いっ
たいどんな会話をすればいいのか困ってしまうと思う。または目が見えないのだか
ら テレビや映画や風景の話をしたらかわいそうだ・・というようなこともよく聞
く話であるし視覚障害者の中にも 自分は見えないからと見える話を嫌がる人もい
るのも現実。しかし実像は見えなくてもイメージを豊かにすることで、ものの形も
色も見ることができるようになり、それを求める人も多い。それはたとえば 赤い
花 ではなく 熱いような色の花とか暖かい、コーヒーのようなとか冷たい氷のよ
うなとか朝の空気のような・という表現を使って説明してもらえれば脳内により豊
かなイメージを形づくることができると思う。