◇ 写真とデザインのコラボレーション
◇ コメント
視覚障害である私が写真を撮ると、撮影した写真が見えないのに撮ることに意味があ
るのか?と一般的に思われているし私も前はそう思っていた。
もちろん撮影や写真のチェックのときには目の見える人にお手伝いしていただくこと
になるが、その人たちの言葉によってその映像は私のイメージとして“見える”よう
になるし、それは記憶の中に映像として刻まれて保存される。
記憶だけでなくパソコンのデータとして撮影のコメントをつけて保存しておくので、
いつどこでどんな写真を撮ったのかも後で検索したり選別したりすることができる。
人の記憶というのは想像以上で、そのコメントを見るとそれが10年前であってもその
ときの情景や季節感や同行した人との会話の内容も瞬時に思い出すことができる。
写真を撮る楽しみはこのような形で周囲からいただいたものとして私の記憶の中に保
存されている。
ただもうひとつの楽しみとして自分を表現するというものがある。
写真家が見せる写真からは、その人の思う/見ている世界がダイレクトに伝わってく
る。
では 見えない私はふだんどんな情景を見ているのか・・それを表現してみたいと思
ったときに写真に写る現実とは違う世界を見ていることに気づいた。
それは“見えている”という絶対的なものでなく あいまいで気迫で混沌として、あ
るようでないようなものだけど色彩も形もちゃんとある不思議な情景である。
こんな世界を表現しようとしたら写真に撮るだけでは無理があると気づいたときにと
ある知人を思い出した。
デザイナーである 才やすよ氏とは10年以上前からの知り合いだったが写真の話はほ
とんどしたことはなかった。ときどき私の治療室のチラシや相方のピアノCDのデザイ
ンなどをお願いする程度だった。
今回のことを 才やすよ氏に相談してみたら それは面白いということになり私の写
真と私が見ている情景をお話してそれをもとに描いてもらうことになった。