もの思いの譜

ここには私が撮影した写真を中心に詩やエッセイを書き込んでいます。

◇写真  自分が見ているかもしれない世界(4)

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◇ 写真 自分が見ているかもしれない世界(4)

◇ コメント

しばらく投稿してなかったので一気に投稿しすぎてしまった。

ともあれ自分の写真の世界にまたひとつ別の扉があいたような気がして、それが楽し

くて興奮していっぱい写真を撮った。

 もしふつうに目が見えていたら、思ったときにすぐにカメラを持って出かけられる

。しかし私にはそれができない。

雨の日の情景を撮りたいと思ってもガイドをお願いした日に雨が降るとは限らない。

いいときに行けないというはがゆい思いが最初のころにはあったが、少し前から で

きないことはあきらめる気持ちになっていた。

しかし 繊細一隅のチャンスというのがある。ガイドしてくれる人がいて霧雨が降っ

ている夕暮れ時 こんな条件がぴったりそろったときがあった。

霧雨の夜の国道 私が好きな風景のひとつに出会えてとてもうれしい。

◇写真  自分が見ているかもしれない世界(2)

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◇ 写真    自分が見ているかもしれない世界(2)

◇ コメント

 視覚障害である私が写真を撮れるなんて最初は自分でも驚いたし何だか自分でない

ような世界を感じていたが何だかわからないけどともかく楽しくてしょうがなかった

しかし10年続けてきてふと これは自分が見ている情景なのかなと思ったときに・・

ちょっと違うかもしれないと思えてきた。

私が見ている情景は記憶やイメージやそのときの気分や体調などでかなり変化するし

、くっきりしている場合もあればぼやけていたり何かと重なっていた李色があったり

なかったり・・とかなり混沌としている。

こういった情景を表現できないだろうかと写真家 鶴巻育子氏に相談してみたところ

、いくつかアドバイスをいただいた。

そのことがきっかけで私の写真の傾向がかなり変わったように思う。

(続く)

◇写真 自分が見ているかもしれない世界(1)

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◇ 写真    自分が見ているかもしれない世界(1)

◇ コメント

このことは何度か書いたがまた書いてみる。

目がもともと見えない/途中で見えなくなった人を視覚障碍者というが、一般に目が

みえなくなると何も見えない、真っ暗闇になると思われているし私も前はそう思って

いたが実際に自分が視覚障害になってみたらそんなこともなかった。

要は説明されればそれをイメージ画像にすることはできる。それが現物とは多少違っ

ていてもとくに困ることはほとんどない。

 ただやはり現物の色や形などを目で確認することはできないし、ふだん歩いている

道に突然工事中の看板がおかれているというような変化に適応することは難しい。

 私が写真を撮り始めたのは視覚障害になってからだが、とくに何かを表現するよう

な写真の場合、頭の中のイメージ画像に近いものに具現化するほうが面白いものがで

きることを知ったことが楽しくて10年も続けることができたのだと思う。

(続く)

◇ 写真とデザインのコラボ(3)

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◇ 写真とデザインのコラボ(3)

◇ コメント

前回に続き 視覚障害である私が撮った写真と デザイナー 才やすよ氏とのコラボ

 第5,6作品です。

(1) ビルに吸い込まれる人々

視覚障害である私にとって絶対的な形というものはなく、ビルも人々も意識を少しそ

らしただけで消えてしまいそうな淡くはかないイメージをもっています。

そしてそこにある今の社会に対しても虚無ではかない危うさを感じています。

デザイナー才やすよ氏は私が撮った何枚かの写真とこんな私の意見を的確にイメージ

した絵を描いてくれました。

(2) 奥が暗闇の地下道と人々

さすがに見えない私でもこのような怖い風景のイメージはないのですが、地下鉄の乗

り換えのときの通路を歩いていて、向こうが真っ暗闇だったらちょっと面白いかなと

思っていて、この写真を才やすよ氏に送るときにそのように描いてみてもらえません

かとお願いしてみました。

この2枚の絵を描いていただいたときに才やすよ氏からいただいたコメントには、彼

女自身にもとてもつらい苦悩を抱えた時期があったとのこと。そのときのイメージを

描いたものだということでした。

今回の2枚の絵は私のイメージと才やすよ氏の記憶が溶け合ったとても密度の濃い作

品になったと思います。

◇ youtubeの動画チャンネル

視覚障害者と写真・youtube 視覚障害者 西尾憲一 写真家 尾崎大輔氏と対談

https://www.youtube.com/watch?v=LIvmX1v8epA

https://www.youtube.com/watch?v=2O79uhbEQrk

◇過敏体質と東洋医学

     西尾はり灸マッサージ治療室

    東京都台東区竜泉1−25−10

    電話  090−2379−4214

写真とデザインのコラボ(2)

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◇ 写真とデザインのコラボ(2)

◇ コメント

前回に続き 視覚障害である私が撮った写真と デザイナー 才やすよ氏とのコラボ

 第3、4作品です。

今回は 花と樹木です。

視覚障害である私には 花はとてもエロティックに見えている。

樹木は孤独で悲しみや怒りや不安を深く内在しているようにみえる。

こんな世界を デザイナー 才やすよ氏が自身の内面を重ね合わせて、さらにブラッ

シュアップして描いてくれました。

◇ youtubeの動画チャンネル

視覚障害者と写真・youtube 視覚障害者 西尾憲一 写真家 尾崎大輔氏と対談

https://www.youtube.com/watch?v=LIvmX1v8epA

https://www.youtube.com/watch?v=2O79uhbEQrk

写真  イケメンヌード

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◇ 写真  イケメンヌード

◇ コメント

知り合いに “俺はいつもふんどしだよ”と言ってる男がいる。

ならばその ふんどし姿を写真に撮らせてくれるか!と冗談で言ったら “いいよ!

”という軽い返事。

 彼はもともとお祭りが好きで浅草の三社祭りなどで みこしをかついでいたから、

ふんどし姿もかなりさまになっている。

さらに彼はオランダハーフなのでなかなかのイケメンである。

それでも大きな体のわりに彼なりにいろいろ悩みも多いようだ。

美しい女性ヌードもいいけど男性ヌードも野性的でかっこいいと思う。

◇ youtubeの動画チャンネル

視覚障害者と写真・youtube 視覚障害者 西尾憲一 写真家 尾崎大輔氏と対談

https://www.youtube.com/watch?v=LIvmX1v8epA

https://www.youtube.com/watch?v=2O79uhbEQrk

写真とデザインのコラボ

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◇ 写真とデザインのコラボレーション

◇ コメント

視覚障害である私が写真を撮ると、撮影した写真が見えないのに撮ることに意味があ

るのか?と一般的に思われているし私も前はそう思っていた。

もちろん撮影や写真のチェックのときには目の見える人にお手伝いしていただくこと

になるが、その人たちの言葉によってその映像は私のイメージとして“見える”よう

になるし、それは記憶の中に映像として刻まれて保存される。

記憶だけでなくパソコンのデータとして撮影のコメントをつけて保存しておくので、

いつどこでどんな写真を撮ったのかも後で検索したり選別したりすることができる。

人の記憶というのは想像以上で、そのコメントを見るとそれが10年前であってもその

ときの情景や季節感や同行した人との会話の内容も瞬時に思い出すことができる。

写真を撮る楽しみはこのような形で周囲からいただいたものとして私の記憶の中に保

存されている。

ただもうひとつの楽しみとして自分を表現するというものがある。

写真家が見せる写真からは、その人の思う/見ている世界がダイレクトに伝わってく

る。

では 見えない私はふだんどんな情景を見ているのか・・それを表現してみたいと思

ったときに写真に写る現実とは違う世界を見ていることに気づいた。

それは“見えている”という絶対的なものでなく あいまいで気迫で混沌として、あ

るようでないようなものだけど色彩も形もちゃんとある不思議な情景である。

こんな世界を表現しようとしたら写真に撮るだけでは無理があると気づいたときにと

ある知人を思い出した。

デザイナーである 才やすよ氏とは10年以上前からの知り合いだったが写真の話はほ

とんどしたことはなかった。ときどき私の治療室のチラシや相方のピアノCDのデザイ

ンなどをお願いする程度だった。

今回のことを 才やすよ氏に相談してみたら それは面白いということになり私の写

真と私が見ている情景をお話してそれをもとに描いてもらうことになった。